ひと晩経ちましたが、

光市の事件の判決を聞いて、どこに向けていいか判らないやりきれなさや不満を感じました。Ash like snowの詞が胸に突き刺さって泣けてくるという予断はさておき、もちろん被告人を擁護するつもりはない事、語弊を承知であえて使う表現もありえる事をことわった上で、ここまでの感想をずらずらと。

  • 死刑の重み、存在意義について
    やはり死刑を宣告する以上、それなりに見合った罪の重さ、社会に与えた不安の大きさなども考慮されなければならないはずが、本件はいつでも起こりうる殺人事件。生まれたばかりの赤ちゃんも犠牲になったのも事実ですが、犯行当時の被告人は、まだ少年法の適用範囲内でもある18歳。いくら裁判が長期にわたっているとか、被告人の証言に信憑性がないとかいっても、更正の機会も与えられないのはどうなんだろう。

    私は、即日控訴を表明した弁護団を、量刑の価値・意義を考えられる人たちだと信じて支持したい。
  • 時として腹立たしくなる遺族のパフォーマンスについて
    今回癪に障ったのが、極刑以外は受け入れられないという遺族の態度。できたばかりの家族を失って辛い気持ちも解るし、それが人として自然な感情なんだけど、ここは民主主義法治国家。メディアを利用して世論を煽動し、そんな必殺仕事人みたいな道理を通してしまった事が、逆に納得できない。
    犯罪被害者の権利を主張し続けた勇気は評価するとしても、あまりに横暴すぎる。判決を聞いた後の記者会見での、口元だけ隠せなかった笑みには、許されるなら1発殴り飛ばしたいくらいの怒りしか感じなかった。

自論をまとめるとすれば、「裁判員制度に向けた汚点」でしょうか。法律の右も左もわからない素人に、こんな重い事例の結論まで求める制度は、今からでも改善しなければならないと思います。裁判員が11人いたとすれば、6:5で決まった判決では5の部分もくんであげるとか。小学校の学級会じゃないんだから、多数決で以上なんて決まってしまう方がよっぽど冷たい気がします。